おしゃもじ旅行
しゃもじマンと申します。


Yo La tengo - A Take Away Show - Part 1 (by DonCojinova)
take away show については書きたいことがいっぱいあって音楽の関係で泣いたのは3年も前のことではないかと、人生でも(多いほうだけと思うけれども)30回もないと思うけれども再現性すらあるよ。日本でぐぐるとqeticさんがインタビューしていて、他にいくつかが熱っぽく語っている程度なのだが。
形式を素晴らしく作っていく方法はデジタル表現が強くなっていっており、こういう生々しい音楽の感動の原理のすぐそばに自分がいてそれはこのような別格の音楽体験になるのだということ。僕は録音や音のデジタルにおける成り立ち、あるいは物理現象としての成り立ちや、脳におけるそれ、などについては、バークリーとかほとんどの現代音楽家よりも詳しいと思う(本式のプログラミングでもってそれにアプローチできたことはこのイノベーション領域では有利だったから)のだが、その耳でもって聞いても、とても凄いことをやっているに違いないことが分かる。とても単純な話で、これほどラフにとっているように見える絵のなかから、ダイナミクスがほとんど失われず、ビビリも割れも漏れもなくミックスされているし、ピンマイクを襟元につけてもいないし、(多分なにかつけてはいるだろうけど)そのマイクだってピンマイクのしょぼくれた品質ではそうそうでない。場のなりとピンっぽいマイクを組み合わせていたりもするかもしれないし、それらの細部の選択もとても巧みなのだろうと。シガーロスの回なんて、スタジオでとってるミュージックビデオかと思うくらい音のダイナミクスも揃っていて、チームのうでは何億円が動くスタジオにいるひとたちよりサウンドエンジニアとしても高いだろうと思う。
それをひと通り話してから、これらがストレートな目的で正しく使われていて、とにかく傍らで聞いたらどれほど素晴らしいかと思わせる本物のミュージシャンたちを選ぶというところから、その「距離」を損なうことなく伝えるこれらの技術のために使われていることにも感銘をうける。サーストン・ムーアの回や僕が一押しの(ライブをみて、10年でみたライブバンドで10に入るシロモノだった。)ローカルネイティブスなどでも思わず涙が出た。kooksのような売れ筋のミュージシャンと、これらのなんというか本物のミュージシャン然としたものが等しく扱われていくさまには、例えば音楽には国境がないのだ。が本当にないのだそういえば。あれは馬鹿が言っていたわけではないのだ。このように知的な人たちにとっても本当にそういえばそうだったのだきっとおれにとってもそうなんだろうな。と思った。